夫婦とは

生きるには飲食が必要であるが快適なる美味は贅沢品である。道徳的に生きるに際し、男女婚をなすは必要であるが、容色、趣味、理解などというは謂わば贅沢である。
これあるは固より結構であるが、無いとて結婚の真理たる夫婦の情義が不可能であるのではない。

生きる必要に迫られたときの粗食は宝飾の徒の美味よりも快適であるべきが如くに、世に立ち自己の天分を尽くさんと欲するものは僅かに米を炊ぎ、辛うじて家内を納めてくれる女子もまた天の我に賜える婦である。

且つ吾人の経済的生活上の運命は何人も之を保証することは出来まいが、もし不幸にして生活のどん底に沈み車の後押しでもして独立せんとするとき、僅かに家を守り辛うじて子女を育ちくれる妻は深く感謝すべきであるを覚えるであろう。

向こうを夫として偶する実行によって自ら婦を実現し、向うを婦として待つ実行によって夫を創造する。夫と婦は一客観的精神の各半面である。夫婦は所謂一円であって、此の一円は客観的真理である。之を夫婦の道と称し、夫婦の情義という。即ち結婚の真理である。ここに結婚が人類の精神的生活の存続と重大なる関係あることを知る。之を単に両人の幸せのためであるなどとするのは甚だしい謬りである。